ブログ説明


早穂理さんは、いのちの森「水輪」を造った塩澤夫妻の娘さんのお名前です。出産時に分娩の医療ミスにより、脳に傷をつけてしまいました。
早穂理さんは歩くことも、話すことも、自分の手で食べることもできませんが、心はみんな解っているようです。そんな早穂理さんの毎日を紹介させて頂きます。
ご感想・お問合せは、メール suirin@suirin.com までお願いいたします。

2017年12月27日水曜日

【早穂理さんのちから】

みなさまこんにちは!

早穂理さんは、最近、発作の時に徐脈というものが起こるようになってしまいました。

(脈拍数が少なくなり、心拍を打つ数が少なくなってしまうことです。)

今は、安静にして、気を付けて様子を見ている状態です。



早穂理さんが、今、元気で生きていることが本当に奇跡のようなことだと、ときどき思います。

お産の時の障害で、ハンデイを持ってしまった早穂理さんは、43年間ねたきりの生活ですが、それでも早穂理さんは、生きていること自体を喜んでいるように感じます。

すべての困難を乗り越え、自分の運命にも打ち勝って、全てに感謝しているように感じます。

だから、早穂理さんの笑顔は、わたしたちに大きな力を与えます。

今年の夏も、辛い風邪をひき、肺炎になってしまったさおりさんですが、大量ステロイド投与で一命をとりとめ、無事生還しました。

この季節になると、いつもさおりさんが前回入院した時の、壮絶な様子を思い出します。

10年前、2007年の冬1226日に、さおりさんは風邪で高熱を出し長野日赤へ救急車で運ばれました。

入院した当初は“風邪”だったのですが、院内感染で、強い菌をもらってしまい、風邪が悪化して肺炎になってしまいました。

状態が悪化したので「抗生剤」を使ったのですが、早穂理さんには、副作用ばかりが強く出て、抗生剤を打つととたんに身体はどんどん冷えだし、病状もよくなりませんでした。

しかし、状況は感染症と抗生剤のイタチごっこで、より強い抗生剤を打つと、それより強い感染症にかかり、またそれより強い抗生剤を打つ。すると、またそれより強い感染症にかかる、という具合でした。

どんどん、どんどん、強い抗生剤を使うようになり、ついには、早穂理さんは、抗生剤の副作用により、内臓出血をおこしてしまいました。

胃からも出血し、尿も赤く、膣からも出血し、便も下痢が止まりませんでした。

偽膜性大腸炎も併発しました。

もの凄い激痛のなかで苦しむさおりさん、お腹の中にはまるでエイリアンがうごめいているようでした。(本当にあったことです。)

また、経管栄養をお鼻のチューブから採り、何種類か飲んでいた抗ケイレン剤も、点滴の中に入れてもらって摂取していましたが、病院側がその中の一種類の抗ケイレン剤を入れていなかったため、テンカンの間代性大発作が何度も起こってくる、重積発作がおこってしまいました。

ただでさえ、熱が40度近く連日連夜出ていて、呼吸もゼコゼコと浅く、早い呼吸で、苦しさのあまり泣きながら呼吸をしているような状態で、見ていてもかわいそうでした。

早穂理さんの心拍は早鐘のように打っており、140近くなっていました。吸入している酸素は13リットルでした。

そんなときに、テンカンの大発作もおこってきて、筋肉の緊張から、気道がねじれて呼吸が出来なくなり、唇が紫色になるチアノーゼがおこってきました。

発作は、その酸素を体内に供給できない影響は大きく、通常、発作自体も苦しいのですが、発作後にも大きな影響がでます。筋肉の末端や、内臓にまで酸素がいきわたらない為に、手足には力が入らずだらんとしてだるい状態になります。喉の筋肉も、ごっくんと飲み込む能力が下がり、気管のほうに飲みこんだ水や食べ物がたれこみ、せき込んだりして食事をとることも困難になります。

(そのとき早穂理さんは、お鼻のチューブで栄養を取っていましたが。)



そんななかで、その様子をずっと見ていた研先生とみどり先生は、見るに見かねて、モルヒネを早穂理さんに打つことを、考えます。

みどり先生は、なんとか早穂理さんの苦痛を取り除いて楽にしてあげたいという気持ちから、安楽にしてあげる方法はないかと考えました。

また、研先生は、なんとか早穂理さんの命をなんとしてでも、生き永らえさせたいと考えました。

そこで、研先生とみどり先生の、男と女、父と母を越えた、本当にどうしたらよいかの激論がはじまりました。何日も何日も、論議を交わし、愛する娘のために、いかにしたらよいのかを話し合いました。

結局、早穂理さんには、モルヒネとステロイド剤が大量に投与されました。

とにかく、医師たちも治療の一環として、苦痛を取り除いてあげたいということでした。

早穂理さんは、昏睡状態になり、眠りつづけました。

主治医からは、打つ手はもうない、と言われ、この状態からよくなった人はいないと言われました。病院からの措置は、ただ補液が点滴で打たれるだけになりました。

その時の、みどり先生はとても冷静でした。「これで、本格的にホメオパシー一本で治療できる。」と、前向きでした。

ホメオパシー専門医の帯津先生とファックスや電話で連絡を取り合い、毎日毎日病状に合う、レメディを質問しました。

しかし、医師から見放された早穂理さんの状態は、すでに臨終のときを迎え、安置所も用意されていました。

研先生、みどり先生は、病院へ24時間泊まり込み、眠るのもさおりさんの隣にある、折り畳み式の簡易ベットでした。

それまで、忙しく病室へ来ていた看護師さんたちも、ぱったりと来なくなりました。

やっと来た看護師さんは、早穂理さんの痰を、一生懸命吸引していたみどり先生に向かっていいました。

「お母さん、もうそんなに、一生懸命、痰をとるひつようはないのよ。モルヒネで意識はないから、さおりちゃんは何も苦しくないんだから。」

しかし、みどり先生は必死でした。たとえ、早穂理さんが、死んでいくとしても、肺がどろどろの痰でいっぱいになっていたら、棺桶の中でも呼吸するのが苦しいだろうと、あとから考えると、ちょっと変ですが、真剣にそう思って、連日連夜、夜遅くまで、さおりさんの痰を取り続ける日が続きました。

そして、帯津先生が処方して下さるホメオパシーを、みどり先生は祈るような気持ちで早穂理さんに与え続けました。

早穂理さんの心拍は、だんだん遅くなり、一分間に本当に少ない数しか打たないようになりました。

ある時、病院のみどり先生、研先生から電話がかかってきて、「早穂理がもうこれで天国へ行くかもしれないから、みんなでお祈りしていて!」と言いました。

呼吸も、心拍も、極端に回数が減っていました。

飯綱の早穂理庵では、早穂理さんのお部屋に、お布団が敷きなおされ、ろうそくなどが用意されて、早穂理さんのお葬式の準備がされました。

最後に早穂理さんが着る、パジャマも用意されました。

死に水をとる、“しきみ”という植物も病室に用意されました。

娘のお葬式の買い物が終わり、日赤病院の駐車場に立った研先生は、急に足ががくがくと震えだし、立っていられなくなったそうです。さおりが死んでしまうなんて・・・!!


ところが、霊安室も用意され、今日亡くなるか、明日亡くなるか、といっているうちに、それでも早穂理さんは昏々と眠りつづけ、そのうちに、何だかだんだんと、元気になってきているようなかんじになってきました。主治医の先生に、「先生、なんだか一命をとりとめて、今回の危機を乗り越えるような気がするのです。このままモルヒネを打ち続けたら殺人になってしまいます。」と塩沢両先生は、土下座をしてお願いしました。

打ちつづけていた大量のモルヒネの量をだんだん減らしていきました。様子を見ていると、眠り続けていた間に、体力が温存されたのか、その間にあきらめずに痰を取り続けたために、タンでいっぱいだった肺がきれいになったのも、助かった原因のひとつかもしれません。

その後、三か月の入院生活をおえて、さおりさんは生きて早穂理庵へ帰ってきました。



モルヒネを打つ時も、さおりさんは、本人の意思で決めることが出来ないために、病院の中で医師の話し合いが開かれ、研先生、みどり先生もそこに参加して審議の上、やっと治療がされる、という感じでした。

病院では、慣例や規則のために、病室の調理器具を使って、さおりさんのお食事を作ることが難しかったのですが、それらの困難とも研先生、みどり先生は戦って、なんとか使えるように交渉し、さおりさんのための酵素玄米の特別食を温められるようにしました。

(病院で使われている、経管栄養の流動食はさおりさんではすぐに下痢をおこし、栄養状態が極端に悪くなってしまいました。)

塩澤両先生,早穂理さんのいない、水輪の留守を守っていたのは、厨房の美佐子さん、お客様対応、セミナー対応をしていた山下さん、航介さん、他のスタッフのメンバーです。

美佐子さんは、早穂理さんが大好きで、それまでも何回もの入院中も、毎日朝晩と、グリーンオアシスの厨房で、早穂理さんの流動食を作り続け、お鼻のチューブで食べれるように、濾し網で濾して、それをタッパーにつめたものを、クーラーボックスに入れ、他のスタッフが車を運転して、先生の着替えや、お弁当などの差し入れと一緒に届けていました。


今でも、思い出すのは、もう駄目だという医者の宣告にもかかわらず、早穂理さんの回復を願い、あきらめないで痰を取り続けた、みどり先生と、研先生の早穂理さんへの強い愛情です。

病院からは、補液だけで、すべての治療を打ち切られた病室の一角で、さおりさんはこんこんと眠り続け、みどり先生はさおりさんを助けたいと祈り、ホメオパシーを与え続けていました。 

帯津先生にも、ほんとうにお世話になりました。

全国で祈ってくださった皆さん、そして、いのちの森のみんなが一丸となってくれました。

今、さおりさんはコンクリートの病室ではなく、あたたかい人の輪がある自宅で、ホメオパシーを使いながら、塩沢ご夫妻に囲まれて元気に過ごしています。

年が明け、4月になれば早穂理さんは43歳です!

もし私が43年間歩けず、ベットに寝たきりだったらと思うと、ほんとうにさおりさんは偉いと思います。


2017年12月2日土曜日

【さおりさんのお風呂】

  皆さんこんにちは。 こちら飯綱高原は、十月末に初雪が降り、今朝もうっすらと白い粉雪が屋根に積もりました。 なんだかお菓子の国にいるような気分になりました。
  これから冬に向かい、寒さも厳しくなってくると、風邪が心配な季節になります。 さおりさんは、今年の夏に大きな風邪をひき、危篤状態になりましたが、今度再び風邪をひいたら、いのちが危ないといわれています。
 さおりさんは、普段、移動入浴のヘルパーさんが来てくださり週一回、お風呂にはいれていましたが、冬が近くなり風邪やインフルエンザに感染する恐れがでてきて、移動入浴をことわることになりました。 私たちの手で、早穂理さんをお風呂に入れることになり、皆で協力し合って週一回だけですが、お風呂へ入っていただくことが出来ています。
 さおりさんは、浴室まで移動することが出来ないため、お湯をためたプールをリビングの中央に置き、ベッドからタンカで皆でプールへさおりちゃんを運びます。プールのお湯は、浴室からポンプでくみ上げ排水しながら、お湯を循環させます。 総勢6名で一人は機械の操作、もう一人は、のどの酸素確保です。 あとの皆でスポンジを持って体をゴシゴシとこすります。 お風呂から上がるころには、さおりさんは一皮むけた、ピカピカの体になっています。
 大変な作業ですが、お風呂から上がった後の、さおりさんの幸せそうな表情を見ると、とても満たされた気持ちになります。


2017年9月14日木曜日

2017/09/14 さおりさんケアチームに新しい仲間が加わりました!



みなさんこんにちは。
今回はさおりさんケアチームに新たに2人が加わったことを報告します。
研修生のNさんとYさんです。
二人とも館内で修業を積んで自分を修められるようになってきたため、母屋のさおりさんケアチームに大抜擢されました。
母屋は夏から冬に向けて新体制の準備をしております。

二人には実際にさおりさんのそばにつき、ご飯作りの補佐や、鼻チューブを入れる補佐等、さおりさんの声にならない心の声をきき、さおりさんの手となり足となる中で、福祉の原点、他者を思いやることを学んでいただきます。
さおりさんケアをしていく中で、たくさんの宝物を2人は見つけることができるでしょう。


2017年8月28日月曜日

2017/8/28 さおりさんの近況です。



皆様、こんにちは。ご無沙汰しております。
この期間中、さおりさんはぜんそくを併発した肺炎にかかっていました。
抵抗力のないさおりさんは、いったん風邪をひくとあっという間に肺炎になり、重篤な状態にまでなってしまいます。
高熱がでて痰がなかなか排出されず、はげしい吸引のため、徐脈(不整脈の一種)が起きてくるようになりました。
瀕死の状態で、イチかバチかのかけでステロイド剤を大量投与しました。
1ヶ月経ちその後、なんとか快方へ向かって今にいたっていますが、免疫力が低下しているので、大事をとっています。

さおりさんはしゃべれない、動けない、歩けない自分の体を、生まれる前に自分で選んで生まれてきたんだよとある先生に教えていただきました。
今回の肺炎は周りの私たちを鍛えるとともに、まわりの厄もさおりさんが背負ってお行をする行者さんのように、厄をおとしていってくれたのではないかと思います。
今は安静にしています。ステロイド投与後の後遺症のため、疲労感があるとのことで、様子をみています。私たちはさおりさんからいっぱい学んでいます。

山田先生、帯津先生、井上先生ありがとうございました!





2017年6月14日水曜日

2017/06/14 若葉のころ




みなさまこんにちは。
こちら早穂理庵では、窓から日に日に大きくなる、小さな葉っぱの子供たちが、手に取るように眺められます。
五月の連休中にやっと庭の山桜が咲き、あっという間に花吹雪になって散ってゆきました。
おかげさまで早穂理さんはとても元気に過ごしています。


早穂理さんのお父さんの研先生は、とてもお料理が上手です。私たちスタッフにも、よく手料理をふるまってくださいます。そういう時、研先生は、本当は早穂理ちゃんに一番たべてもらいたいんだけれど、、、そういう気持ちでつくているんだよ、とおっしゃっていました。
早穂理さんは、ここ三年間ほど鼻からのチューブでお食事をとっています。
研先生が教えてくださったレシピで、畑のお野菜をてんこ盛り入れたなべを作りことこと煮込んで、酵素玄米と一緒にミキサーにかけて早穂理さんの流動食を作ります。
鼻のチューブは、できるだけ早穂理さんの負担にならないように、細いものを使い、できるだけ短時間で取るようにしています。これからも早穂理さんが元気に過ごせるよう、皆で力を合わせていきたいと思います。

2017年5月22日月曜日

みなさま、こんにちは。飯綱にもやっと、春が来ました。 雨が降って根雪を溶かし、黒々とした大地が顔を出しました。 いのち踊る春の到来です。しんとした雪原にうってかわり、生きる喜びを歌う小鳥たちのさえずりが、生き生きと聞こえてきます。  九州から、テンカンの専門医である重藤先生が来てくださりました。忙しいスケジュールの中をぬって、早穂理さんに会いに来てくださりました。  北長野歯科医院の先生が、歯の治療に来てくださりました。早穂理さんの歯は、いろいろな痛みをこらえるために歯ぎしりをしたりして、すりへっています。膿のたまっている歯もあるようで、次回は麻酔をして治療を受けるそうです。

前回の養生塾の時には、帯津先生も、早穂理さんを診察して下さりました! いつまでもお若い帯津先生です。

2017年4月6日木曜日

2017/4/6 春の女神様

みなさま、こんにちは。
43日は、早穂理さんのお誕生日でした。


素敵なお花と、カードがとどきました。

早穂理さんを大好きでいてくれている元スタッフのみさこさんから、
“早穂理ちゃんお誕生日おめでとう!!
生きていてくれてありがとう
ただ ただ 感謝です。 ”

やました洋子さんから
“いのちの芽吹きがいっせいに始まる4月のただ中に
生まれた貴女は生命そのもの。
そして私には春の女神のように 
いつも温かなオーラを ありがとう
これからもどうぞよろしくね。
みんなを幸せにする佐保姫さん!!”

素敵な言葉の贈り物です。                            
同じく元スタッフの寿美さんから、キティちゃんのプレゼント、そして、ちゅうじょうさんから、スイセンのお花ありがとうございます。

これからも、早穂理ちゃんと一緒にみんなで頑張っていきます。

2017年3月24日金曜日

2017/3/24 もうすぐ春

みなさま、こんにちは。
こちら飯綱高原は、春の足音が聞こえてはいるものの、まだまだ雪が積もっています。



早穂理さんの、ナナカマドのお部屋にも、小さな小鳥たちが、春の訪れを知らせに来ました。


早穂理さんの洗髪をしました。早穂理さんの髪の毛はふわふわに。
 


訪問看護の深沢さんが採血をしに来てくださりました。



今年の冬に、お父ちゃんから早穂理さんに、プレゼントがありました。
可愛いポンチョです。早穂理さんも、おきにいりでにっこにこです。



今年も何とか風邪もひかずに冬を越える事が出来ました。もうすぐ来る春を心待ちにしています。

2017年2月28日火曜日

2017/02/28 冬の雨

みなさま、こんにちは。最近は雪でなく雨の降る日も出てきました。春ももうすぐかな?
とも思いますが、まだまだ水道の水も手が切れるほど冷たいし、寒い日がつづいています。 
 そんな中、ちゃのちゃんは、おかげさまで元気に過ごしています。
お昼ご飯の後、お座りをして運動をしました。
肺にも良い運動です。
乳腺症もよくなったり悪くなったりで、お風呂にもなかなか入れてあげられませんが、早穂理さんは、いつもニコニコと私たちに笑顔をみせてくれます。

 それが、私たちの元気の源です。

2017年2月22日水曜日

2017/02/22 ちゃのちゃんのとこやさん

今日は、早穂理ちゃんの髪の毛を鷲尾さんに切ってもらいました。
鷲尾さんは、水輪に来る前は床屋さんをしていたのです。
今ではすっかりグリーンオアシスの料理長になってしまいました。

髪型は、父ちゃん曰く「可愛くまっちゅるーむカットにしてね!」

早穂理ちゃんは喉を気管切開しているので、
髪の毛がのどへはいらないようにしっかりタオルでガードします。

髪の毛を切った後は、リビングに運んだプール型のおふろへGO!
みんなで、ごしごしちゃのちゃんの体をこすりました。

ちゃのちゃんもごきげんで、きもちよさそう。お風呂に入れてよかったね。