ブログ説明


早穂理さんは、いのちの森「水輪」を造った塩澤夫妻の娘さんのお名前です。出産時に分娩の医療ミスにより、脳に傷をつけてしまいました。
早穂理さんは歩くことも、話すことも、自分の手で食べることもできませんが、心はみんな解っているようです。そんな早穂理さんの毎日を紹介させて頂きます。
ご感想・お問合せは、メール suirin@suirin.com までお願いいたします。

2013年12月31日火曜日

一年の終わりにありがとう


こんにちは。さいきんのさおりちゃんは、とってもげんきです。
たくさん声を出して、生きる喜びを表現してくれています。
わたしが、さおりちゃんすごいなあ、といつも思うのは、自分の境遇に負けていないということです。
いつも力強く、生きているってこんなに嬉しい!とまわりの私たちに示してくれていることです。
さおりちゃんは、38歳にして一度も人を憎んだり、ねたんだり、人の悪口をいったりしたことがない、その純真無垢さは、スジガネいりです。
いつも、大きなものとつながって、エゴのない意識のありようを表現してくれています。さおりちゃん、いつもありがとうございます。
今年一年、ごくろうさまでした。
今年の5月には大風邪をひいてしまって死線をさまよったけれど、帰ってきてくれて本当に良かった。
私も、自分の在り方を考え直しながら、さおりちゃんとともに生きていきたいと思います。






担当、佐藤りえ

2013年12月19日木曜日

ゆず湯


こんにちは。今日は木曜日、さおりちゃんの移動入浴の日です。
さおり庵の窓から見えるのは、一面の銀世界、真っ白な雪が降り積もり、まぶしく光を反射します。




そんなゆきのなかを、ヘルパーさんたちは移動入浴車に乗って長野市内から飯綱高原へ、山道をのぼって来てくださいます。
さおりちゃんは、週に一回だけお風呂に入ることができますが、先週は乳腺症が悪化してお休みしたので、二週間ぶりの入浴になりました。
今日はなんと、「ゆず湯」でした。
ゆずのなんともさわやかないい香りが、ほのかにただよって、さおりちゃんもほかほかに温まり、満足げでした。





担当:佐藤りえ

2013年12月13日金曜日

ひとりひとりがナイチンゲール

こんにちは。昨日は、さおり庵で、福祉の原点は愛だということを知る授業がなされました。

まず、さおりちゃんがどんなことを感じているかを知るために、自分で紙おむつをつけて一日過ごしました。排泄も排尿も、その中にしました。
それで分かったことは、紙おむつはとても蒸れるということです。それに紙ががさがさして、肌が擦れていたいということ。さおりちゃんが毎日どんなふうに感じて生きているか。

もう一つは、さおりちゃんは、毎食、鼻からのチューブでご飯を食べています。一日に2回、何時間ものあいだお鼻のチューブをつけているのですが、それがどんな感じなのか、みんなで鼻チューブを実際に自分に入れてみる実習をしました。
最初、みどり先生がご自分で鼻に入れて見せてくれました。みんな、なかなかすんなりいれられず、げほげほとむせたり、もどしそうになる人もいました。

その時に、みどり先生が、これは、自分の中の愛を知るための実習です。なんのためにやるかといったら、私たちがこの世に生かされているのなら、愛を知るためにいかされているのかもしれないとおもうのです。自分自分と固執する意識を捨てて、おそれを手放してみなさい。と背中を押してくださいました。その声を聴いていると安心してすうーっとチューブを入れることができました。

鼻チューブをつけてみると、鼻の奥やのどの奥が擦れて痛かったり、異物感があって、つばをのみこみずらかったり、目の神経が刺激されて涙が出てきたり、みんなそれぞれ体験してみて、さおりさんの大変さが少しわかりました。
そのままお水を飲んでみましたが、不快なかんじがしました。
チューブを鼻からぶらぶらとさせているのも、不快で、動かしてほしくないと思いました。毎日のさおりちゃんのお食事で、無造作に鼻チューブを扱っていたことを反省し、もっと注意深く接しようと思いました。

 みどりせんせいは、さおりちゃんの入院中、さおりちゃんがお鼻のチューブをつける前に、ご自分で左右の鼻を一週間ずつ鼻チューブをつけてすごし、話すことのできないさおりちゃんの身になって試してみたそうです。

 体験しないとわからない、なかなか体験することのできない、貴重な、いのちのじゅぎょうでした。

 
担当;佐藤りえ

2013年12月10日火曜日

グレッグラー医師

例年ゴールデンウィークに水輪で開催される、国際アントロポゾフィー医学ゼミナール、その学会の最後の日の夜に、毎回「感謝の夕べ」と言って、学会をサポートしている水輪の私たちに、医学ゼミナールの参加者の方々がいろいろな出し物をしてみせていただきます。その感謝の夕べでゲーテアヌム精神科学自由大学医学部門代表、ミヒャエラ・グレックラー博士が、水輪,そしてさおりさんのことをお話しされましたので、以下お話しの内容を掲載させていただきます。

グレックラー博士は、いつもさおりさんのお部屋に来てくださり、愛の思いのこもった優しいまなざしで、さおりさんの手や足をさすってくださり、とても深いところでつながり合っていることを感じています。

 
担当:佐藤りえ 
 
 
201253日 「感謝の夕べ」 

ミヒャエラ・グレッグラー先生からの感謝の言葉

本当に私は皆さんにお礼の言葉を述べたいと思います。ただ一人でピアノなしで歌う気にはなれません。ですからその代わりに皆で歌うことができてとても良かったです。

私たちのようにヨーロッパから日本にやってきますと、ここは本当に特別な出会いという感じがいたします。というのも、ここには本当に特別な文化があるからです。

そして、山の中をぬってこちらの水輪にやって来ますと、何か本当に特別に日本的なものがあるように感じがいたします。しかも、さらにこの水輪という施設に入ってきますと、しばらくここで時を過ごしているうちに、いつの間にか自分が日本にいるということを忘れてしまうということがいつも起こるのです。

つまり、ここにいることが当たり前な感じがしてきて、食事ももちろん特別で、しかし日本的であり、いろんなことが日本的であるけれども、ここで時を過ごしていることが、何か当たり前のこと、本当に普通のことのように思えてきてしまうのです。私がそういった違いを忘れてしまうのはいったいなぜだろうかということを、今回も自分で自分に問いかけてみました。その時私が思いついたのは今言える限りのことなのですが、二つのことです。

一つのことは、ここでアントロポゾフィー医学を学んでいる皆さんとまた再び出会って、そして共通の分野で共通の学びをするということ、私たちは別のところに住んでいるけれども、また一緒の学びをすることによって別の国から地球の遠いところからお互いに来て出会っているということを忘れるということ、それが一つです。

もう一つは、この水輪という場で私たちが出会う本当に細やかな、繊細な気遣い、それは私たちが至る所で目にする植物であったり、お花であったり、皆さんが細かく手入れしてくださっている全てのもの、それは私にとっては、これ以上日本的なものはないんではないのかと思われるほどすばらしいものがここにあるということです。

そしてそういった環境の中でこれだけ多くの様々な皆さんが、それぞれ様々な個性、そして様々な能力、可能性をお持ちの方々が一緒になって力を合わせてここで私たちを迎えてくださっているということです。そして、そのような方々にお会いすると、私はまるで、あ、ここで人間と人間の出会いがある、その人間ということが急に意識されて、ここが日本だということを忘れてしまうわけです。

そして、その上で私たちは再び意識するようになるわけです。つまり、この施設の中心にはある女性がいる。今日、改めて私は伺ったんですけれども、37歳という人生の最高の年齢、アントロポゾフィーの見地からするとそれは第二の月の交差点と言われる特別の意味を持った年齢ですけども、その人生の最高の年齢を生きているある女性が、しかし特別に自らを帰依するような、自分自身の意志を主張するのではない特別の在り方をしてここに存在しているということ。そして、そのように本当に重度の障害を持った方が、そのような特別な年齢を今生きている、そういった人間に出会うということが本当に特別なことだということがあります。

そして、そのような自らを捧げるようにして存在している、そういう人間に対して皆が無条件の愛を向けて、そして何かを求めること、何かを期待することなく、その人を助けるために力を合わせている中で、その愛が他の人々をも助けている、他の人々をも豊かにするというようなそういう施設のあり方をここで実現しているわけです。そして、それは私にとっては本当に普遍的な人間性、ドイツ的でもない、日本的でもない純粋な人間性であって、それが私がもう一つのこととして、言いたかったことなんですが、その素晴らしさを体験する時、私は自分が日本にいるということを忘れてしまうのです。

そして、そのことは本当に一つの手本、模範であって、皆さんが私たちをここに受け入れてくださって、そのような愛のあり方、存在のあり方を体験させてくださるということは、まさにそれが私たちが学んでいるアントロポゾフィー医学、そしてアントロポゾフィーの社会的、治療的芸術のまさに模範であるために、それを私たちにここで体験させてくださっているということに対して、感謝する以外はないわけです。本当に心から感謝しています。

そして、そのような私たち全員の感謝が、私たちが去った後も皆さんのもとにとどまること、ほんの少しでも皆さんを支える、あるいは、皆さんとともにあって、皆さんに少しの喜びを残すことを願っています。どうもありがとうございました。
 
 

2013年12月5日木曜日

愛のムチ

こんにちは。前回に引き続き、さおりちゃんの厳しさについておはなしします。さおりさんケアをしていると、さおりさんのやわらかな気にすっかり癒されて、眠くなってきてしまうことがあります。さおりさんのとなりで、こっくりとしてしまうことがありますが、そうすると、さおりさんから愛のムチがとんできます。さおりちゃんには、そんな気がないのかもしれませんが、ちょうど良いタイミングで命中する場所に、さおりさんの平手が飛んできたりします。さおりちゃんは、お数珠をジャラジャラと鳴らして遊ぶのですが、その数珠がバシンと、寝ている私の顔に命中する時があります。
 さおりちゃんを寝かせるために、さおりちゃんの横でいっしょにごろんとしていて、お歌を歌ったりおはなしをしていて、ついつい先にねむくなったりすると、さすがにさおりちゃんも嫌なのでしょう、ねないでよ~と、私のほっぺたをつっつきます。ああ、さおりちゃんは、すべてわかっているのだなと、よく思います。
 

 福祉の心は愛が原点です。自分の眠気に負けていては福祉の心を学ぶ実践にはなりません。眠気を切り替えて、自分に勝つこと、目の前の実習に集中することが大切です。

担当、佐藤りえ

こころの声

こんにちは。今日は、さおりちゃんの厳しさについてお話します。さおりちゃんは、周りの私たちを癒してくれる存在です、ですが同時に、いやがおうでも、自分を乗り越えさせてくれる厳しい存在でもあります。どういうことかというと、さおりさんケアをしていて、わたしたちの実習のミスは、すべて、さおりさんの命にかかわるからです。私たちの管理が悪くて、酸素のホースが途中で抜けているために、さおりさんの酸素の値が下がってしまったり、吸引器のコンセントが抜けているせいで、たんが詰まった時に、たんの吸引ができなかったり、常に、さおりさんには命の危険が隣り合わせです。先日は、寒くなってきたのに、薄めのズボンをはいていたため体が冷えて、おなかをいたがるようになってしまいました。私たち自身は、熱かったら自分で脱ぎ、寒かったら暖かい服を自分で切れますが、さおりちゃんはそれができません。かわいそうなことをしてしまいました。

もっともっと、言葉にならない、心のひだの奥から響いてくる心の声に、こころの眼や耳を澄ましていかなければならないと感じました。
 

さおりちゃんは、その身をもって、わたしたちに今に生きることをおしえてくれています。
 
担当、佐藤りえ